馬目宏樹(まのめ ひろき)のプロフィール
輸入車専門プレミアム納車システムTEAM MANOME 馬目宏樹(まのめ ひろき)のプロフィールです。これまでの経歴や生い立ちなどをご紹介しています。TEAM MANOM(チーム・マノメ)の会社概要については以下のページをご覧ください。
このページの内容のまとめです
馬目宏樹の自己紹介
以下のページでご説明しているように、私自身も輸入車オーナーとして過去に悪徳ディーラーにカモにされて非常に悔しい思いをした経験があり、それが自分自身で理想の輸入車販売業者である「輸入車専門TEAM MANOME」を立ち上げた最大の動機です。
馬目宏樹の考え方やポリシーなどについては以下のブログ記事をお読みください。
「馬目宏樹とはどんな人間なんだろう?」私の人間性や生い立ちを知りたい方はこのブログ記事をお読みください。
自分自身も熱烈な輸入車ファンである馬目宏樹がVWゴルフからBMWまで輸入車9台を乗り継いだ経験や思い入れを語り尽くしたブログ記事です。
馬目宏樹の愛車歴
VWゴルフⅡ。VWゴルフⅢ。VWニュービートル。VWザ・ビートル。
BMW325iハイライン右ハンドル。BMW323i左ハンドル。BMW325iハイライン左ハンドル。
2022年11月19日現在はBMWアクティブハイブリッド3ラグジュアリー左ハンドル、BMW X1 xDrive18d Xラインを所有。
馬目宏樹のプレミアム納車実績
馬目宏樹のこれまでの納車実績については、以下の「納車ランキング・集計データ」のページをご確認ください。
馬目宏樹の経歴
私のこれまでの経歴です。地元の大学を卒業後、広告代理店勤務を経て、有限会社ティエム・ツー・スリーを設立して独立。現在はインターネットでの輸入車販売を主要業務としています。
生年月日 | 昭和43年8月23日生まれ |
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出身地 | 宮城県仙台市 |
1987年 | 東北学院高等学校卒業 |
1991年 | 東北学院大学 経済学部経済学科卒業 |
1993年 | 株式会社キョウエイ・アド・インターナショナル入社 |
1996年 | 株式会社 第一エージェンシー入社 |
1997年 | 株式会社 日新入社 |
1998年 1999年 |
車買取店ガリバー東中央店の広告を担当、テレビCMの内容を10種類以上、ラジオCM、新聞広告まで全て立案し多大なる効果をもたらす。 結果、全国のガリバー400店舗中、粗利日本一に貢献した。 |
2001年 | 株式会社 ゲンダイエージェンシー入社 |
2003年 | 10年間の広告代理店の経験を活かし、 総合広告代理店TM23創業 藤井サト子バレエ研究所 助手 |
2004年 | 藤井サト子バレエ研究所 教師 総合広告会社 ティエム・ツー・スリー設立、上場企業など多数の優良クライアントを抱える。 |
2008年 | 藤井サト子バレエ研究所第23回バレエ公演 『眠れる森の美女』全幕公演 振付 |
2009年 | ティエム・ツー・スリーの事業の一環としてインターネット限定ドイツ車新古車中古車販売開始 |
2014年 | 平成26年6月 累計プレミアム納車台数が100台に到達。 |
2017年 | 平成29年12月 累計プレミアム納車台数が200台に到達。 |
2020年 | 令和2年12月 累計プレミアム納車台数が300台に到達。 |
2023年 | 令和5年12月 累計プレミアム納車台数が400台に到達。 |
現在 |
藤井サト子バレエ研究所 助教師(リンク先に私も載っています) 有限会社ティエム・ツー・スリー 取締役社長 TEAM MANOMEは2010年(平成22年)より北海道から沖縄までプレミアム納車の実績を積み重ねてきました。全国にMANOMEファンが増殖中です。詳しくは「納車ランキング・集計データ」をご確認ください。 |
馬目宏樹の熱血ヒストリー
私が輸入車の仕事を本格的に始めるまでの私の生い立ちのご紹介です。私が礼儀作法を重んじる理由、愛情・情熱・魂を込める仕事への姿勢、なぜ「馬目先生」と呼ばれているのか、馬目宏樹が一体どういう人間か、などご理解頂けるかと思います。
父と母の背中を見て「礼儀」と「正義感」を学んだ幼少時代
藤井サト子バレエ研究所を築いた母
父が地元仙台の新聞社である河北新報の報道写真部に勤め、母は一代で築き上げた東北の名門クラシックバレエ教室「藤井サト子バレエ研究所」を経営指導するなど芸術一家の中、私は育ちました。
父は仕事が大好きで誰よりも責任感があり、曲がった事が大嫌いな頑固者です。とにかく人情味溢れる父なので町内会長を何度も任されました。近所で曲がった事をしている方がいると本気で注意をして分かっていただけない場合は怒り飛ばすなど正義感が強い父です。
仕事も報道写真部長になっても部下任せにする事なく、深夜電車の脱線事故があった時、父は部下に電話で指示を出すだけでなく、現場へ率先して行ったのです。当日、朝8時過ぎに家族で遠出に行く用事があったのにも関わらずです。
母もクラシックバレエを経営指導していますが、小さい頃から無理矢理バレエを習わされていましたので、母の背中を間近に見る事ができました。曲がった事をする父兄や生徒がいると呼び出して怒る姿も見てきました。
母も人情を大事にする方で人を大事に生徒を大事にバレエを誰よりも愛しています。母はとにかく礼儀作法に厳しく、挨拶はもちろん、感謝の気持ちを言葉で素直に言える素晴らしい母です。有難うございますと恥ずかしくて言えない人ほど恥ずかしい者はないと言っていたのを今でも心の中に焼き付いています。
このような両親の背中を見て育った私です。有難うございます、おはようございます。さようなら、失礼します、などなど私は挨拶を大事にしています。これが礼儀作法に結びつくからです。挨拶もできない大人を沢山見てきましたが本当にだらしない方たちです。
それと私は曲がった事が大嫌いです。人の足を引っ張ろうとする方、理不尽な態度をしてくる方、妥協・手抜きをする方、常に楽な方を求めている方、自分の失敗を反省せず言い訳ばかり言う方、このような事を絶対許さない頑固者です。両親に似てしまったのでしょう。
野球少年だった小学生時代~YMOのコピーバンドに没頭した学生時代
YMOのコピーバンドで使っていたROLAND VP330
学生時代ですが小学生の時は真っ暗になるまで野球をしていました。町内の少年野球に所属し、投手をしていました。泥だらけに帰ってきてはよく母に怒られました^^。小学生の時はいじめをする人がいると5人だろうが、いじめをやめさせるため、たった1人で戦い助けました。正義感が強かったのかもしれません。
ピアノも小学3年生から習い中高大とYMOのコピーバンドを組みました。担当は坂本龍一さんのシンセサイザーです。高校時代は毎年学院際に出て弾きました。
我が母校である東北学院。中高大の一環教育で東北No.1のクリスチャン学校です。おぼっちゃま育ちの生徒が多く、私もそのうちの1人でした。毎朝礼拝に出て、英語に力を入れている学校で勉強が非常に難しく、高校2年生の9月から猛勉強しました。
先生たちはとにかく礼儀作法に厳しく、生意気だった私は高校1年生まで毎年悪い事をして先生に見つかりビンタされましたが、今となっては先生に愛があったと感謝しています。礼儀作法に厳しい私は学校と親に学んでそうなりました。
おはようございます!こんにちは!さようなら!有難うございました。失礼します。の挨拶は当たり前の事です。挨拶は基本中の基本です。学校で注意され家で注意され、学生時代はうるさいなと思っていましたが今では挨拶が出来ない奴は人間失格だと思っています。
勉強以外ではこのような事を学ばせて頂いた東北学院。令和3年の夏には甲子園に初出場。しかし、部員の1人が新型コロナウイルスに感染したため、この子の将来のため、2回戦を辞退。野球学校なら出場していたでしょう。でも東北学院は生徒の将来のため辞退。残念ですが東北学院らしいと嬉しくなった。東北学院は生徒を愛しています。生徒を守るため愛がある辞退をしたのです。OBとして誇りに感じます。先生を始め、昔と変わらず、本当に良い学校です。
アルバイトに燃え汗水たらして働く喜びを知った大学時代
大学時代はアルバイトに燃え、近所の焼肉ラーメン店、運送業など大学3年生まで働き、毎月12万円前後稼いでいました。焼肉ラーメン店ではなぜか2組のご夫婦に好かれ、私の顔が見たいからと毎晩のように来るなど常連さんになってしまい売り上げに貢献しました^^。
運送業のアルバイトも夏は滝のような汗を流し一生懸命トラックに荷物の詰め込め作業をしました。同年代のアルバイトの方はとにかくサボることを覚えて同じ時給なのに何で一生懸命働かないのか腹が立っていました。
しかし、見ている人は見ています。沢山のトラックの運転手から呼び出されるなど私を可愛がって頂き、いつも缶ジュースをご馳走になり、多いときは1日5・6缶の缶ジュースをポケットに入れ持ち帰っていましたので家の冷蔵庫には沢山の缶ジュースがありました^^。
この時に稼いだお金で複数台のオートバイを買いました。ヤマハのRZ250R~ヤマハのFZ250~ヤマハのFZR250~ヤマハのFZR250エグザップ~ヤマハのTZR250後方排気と大学4年間で乗り継ぎました。
今、思うと1台のオートバイで我慢すれば、100万円近く残っていましたが自分で汗水たらして稼いだお金で買ったので後悔していません。良い青春時代の思い出です。
2年間の就職浪人の末に広告代理店に就職~そして数度の栄転
大学を卒業後2年間マスコミを目指していたので就職浪人をしました。そこでテレビCMや新聞広告に興味を抱き、広告代理店に24歳の時に就職しました。テレビ・ラジオCMをやりたかったのに交通広告を柱としている広告代理店に入社したため、2年間だけ交通広告の営業を条件に我慢して働きました。
それが営業成績が東北25人中ベスト10に常時入るなどしたため、仙台支社のエース的存在になったためテレビCMへの営業部門異動をさせられず、違う広告会社へ数社ステップアップのため転職を繰り返しました。
地元宮城県の広告代理店は信じられないくらいに年収が低かったのも原因ですが、転職するたびに年収アップしました。でも私は家族に申し訳なかったのですが広告が大好きでした。
新規開拓をして他社から奪い取ったクライアントです。他の営業マンはクライアントから渡された原稿をデザイナーに渡していましたが、私は交通広告代理店時代からクライアントの人柄やお店や会社の様子を目で耳で感じ、その思いを下手な絵を描いて渡していました。
ゼロから考えるのが大好きで真似事は大嫌いです。テレビCMも15秒の世界を自ら言葉、そして絵コンテを書いてデザイナーに渡し、撮影も仕切って編集スタジオでも手抜きをする方へ本気で怒るなどしていました。
お客様が私を慕って信用して頂いて頼んだ広告です。1円たりとも無駄にできない。愛情・情熱・魂を込めてテレビCMを作りました結果、CMを出せば出すほど絶大なる効果があった。
私をさらに成長させた上場企業のTASAKI宝石店さんとの出会い
他の営業マンが最初から取れないと諦めていた上場企業のTASAKI。私は当時の東北で一番偉い方に好かれ慕われ、世界の電通と地元NO1の広告代理店から広告予算を根こそぎ奪い取りました。
私は小さい頃からTASAKIさんの宝石を宝石好きな母に連れられ展示会などで見ていました。美しいダイヤモンドの輝きが大好きで他社にはない幻想的なデザイン。新聞広告ではTASAKIさんの良さを最大限に発揮して毎回真剣勝負で広告のデザインを考えました結果、新聞広告を出すたびに絶大なる効果が出ました。
このお車の仕事を本格的に始めた2009年に残念ながら全国的な広告枠見直しのあおりを受け、契約はゼロになりましたが、当時のTASAKIさんの東北で一番偉い方に物凄く可愛がられましたので、今のお車の仕事に活かされています。
上の世界を見なさいと日本中のVIP客が集まる京都での展示会やパーティに毎年強制参加しました^^。70歳を超えた品がある女医さんや社長夫人から好かれ、苦労をしたお話などを聞かされました。そして舞妓さんに何故か好かれ、お兄ちゃん~まだ~とトイレまで追っかけてきました。
TASAKIさんのお蔭で沢山のVIP客とお話ができ、相手がお医者様だろうが上場企業の役員さんだろうが、私は自分のありのままの姿で接しています。曲がった事をする方がいれば社長様だろうがお医者様だろうが毅然とした態度で間違っていますと言います。
私とクラシックバレエ~広告代理店の仕事の傍ら母のバレエ教室の助教師に
バレエ公演「眠れる森の美女」前列右側の王様が私です
クラシックバレエですが母から無理矢理に3歳の頃から大学3年生まで習っていました。生意気盛りの中学生の時は一緒に踊る女性が美人でないと母に怒っているなど最悪なガキでしたが、美人の生徒と踊るとなった時は一日も休まずバレエのレッスンに行っていました^^。中学2年生の時が一番燃えてバレエをしました。1歳上の美人なバレエの生徒が上手だったので足を引っ張っていけないと思いレッスンを一生懸命受けました。
子供たちのバレエ公演での私
結婚をして2人の子供たちにも母のクラシックバレエを習わせたのですが、当時の助教師が小さい子供に教える態度に納得しなかった。あまり子供が好きでないと分かりました。独身の方で若い女性だったので仕方がありませんが。
なら私が子供たちに教えるぞと広告代理店の会社を辞め、上場企業のTASAKIさんも独立したら応援すると背中を押され、有限会社ティエム・ツー・スリーを設立しました。
日中は広告代理店の仕事をしながらバレエ教師になるため、1年間ほぼ母の全レッスンを受けました。
1年後に助教師になり、子供たちから教えました。愛情を持って2歳から小学生の子供たちに教えた結果、子供たちに異変が起きました。宏樹先生のレッスンでないとバレエに行かないと。
振り付けをしたバレエ公演「眠れる森の美女」
何故か子供たちに好かれた私は、多い時は1レッスン20人前後の子供たちを教えました。未就学児のベビーちゃんは親離れしませんので泣く時もあります。その時、私は抱っこをしてレッスンを始めます。
すると泣いていた子供は数分後に泣き止み、ニコニコしてレッスンをしますのでお母さまたちはビックリしていました。それから4年後、「眠れる森の美女」全幕公演の振り付けをして大絶賛を浴びました。
この時、妥協・手抜きをしようとする他の助教師と何度もバトルになりました^^。バレエも一切妥協をしたくなかったからです!悲しい場面も自ら演じて教えました。言葉ではなく演じて教える。これが私流の教えです。
美しい物の世界を目で耳で感じてきたことは、今の仕事に活かされています
このように私は常に美しい物の世界を目で耳で感じました。今の仕事に活かされています。輸入車の塗装は美しい。私は美しい物が大好きです。乗る方も美しい心を持たなければ本当に似合いません。だから私は俺は客だぞと威張る方、礼儀作法がなっていない方へ売らないのです。
売る側も買う側もどちらが偉いというわけではありません。お互い信用・信頼があって初めて良い仕事が出来るのです。この人に売りたい。この人に喜ばれたいと情が湧いてこそ感動を与える仕事をするため努力を惜しまないのです。
私を信頼・信用して頂いたお客様はお客様ではなく、私の大事な家族だと思っています。そうです。馬目ファミリーなのです。馬目ファミリーは日々全国各地に北海道から沖縄まで増え続けています。
栃木県栃木市にお住いのVWゴルフGTIの石塚様ご夫婦。日光東照宮などご挨拶の度に最高のおもてなしをして頂きました。ホームページのお客様の声にもご協力して頂きました。(それぞれの写真をクリックすると大きく表示します。)
三重県松阪市にお住まいのポルシェカイエンSの堀口様は、もう数え切れないほど再会しています。私が来る度に美人な奥様や息子さん娘さんも来て堀口家と一緒にお食事を楽しんでいます。
三重県伊勢市にお住いのアウディA8 3.2FSIクワトロの佐藤常務はバリバリの体育会系です。奥さんもバリバリの体育会系で私を応援しています。有難い事に佐藤常務はホームページのお客様の声の動画をご協力して頂きました。
そして今では弟のように可愛がっている広島県福山市にお住いのアウディQ5 2.0TFSIクワトロの神原様。ご挨拶の時は有給休暇を取って頂き3日間も広島観光をご案内して頂き、その後もヒルトン福岡シーホークに泊まり博多観光。広島のマツダスタジアムで巨人広島戦を観に行くなど何度も再会しています。
このように私は納車後も沢山の馬目ファミリーから慕われています。年賀状も毎年沢山の馬目ファミリーから届いています。愛情・情熱・魂を込めて完璧納車に納車した結果が、きちんと私の気持ちが伝わっている証です。
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